・「高橋悠治のサティ」
デジタル録音の先駆者日本コロムビアがかってアナログディスクで出していた演奏で、 1976 年の録音ながらデジタル録音( PCM 録音)。“このディスクにはところによりピアニシモの部分に微少なノイズがありますが、 1970 年代のデジタル録音のためオリジナル・テープにあるものです。ご了承ください。”との表記があるが、気にするほどのことはない。いかにも高橋悠治らしいサティだ。“ジュ・トゥ・ヴ”など、もっとロマンチックに演奏されることが多いと思うが、高橋悠治は心地よいぶっきらぼうさで弾き切っている。私は非常に良いと思うが、ロマンチックな抑揚や瞑想的な癒しを求める人には合わないだろう。
・「日本におけるサティ浸透の最高の功労者」
エリック・サティ(1866~1925)が現在のようにコマーシャルにまで多く用いられ、生活に浸透して行った『演奏者』としての最高の功労者はと言えば日本ではあまり評価が高いとは思われないアルド・チッコリーニだろうし、日本における最大の功労者は間違いなく高橋悠治・アキ兄妹だろう。
1980年2月、ニューヨーク州立大学バッファロー校に付属していたセンター・オブ・ザ・クリエイティブ・アンド・パフォーミング・アーツ(創造的演奏芸術センター)のメンバーであった高橋アキは、このセンターのディレクターであった作曲家モートン・フェルドマンからそこでのリサイタルにメシアン・クセナキスの曲とともにサティの『5つのノクチュルヌ』を所望された。高橋アキは、渋谷にあったジャンジャンで足掛け3年間『エリック・サティ連続演奏会』を行っていてほとんど全曲を日本でおそらく初めて知らしめていたのだ。時にジョン・ケージが大きくエリック・サティに傾倒していて、ケージと30年来の友人であったフェルドマンがサティ*ケージ*高橋アキの3つを繋いだと考えられる。
その時兄高橋悠治はサティの音楽をより、音楽論的に作品分析を行っている。例えば最も有名なサティの曲『ジムノペディ第3番』は、メロディーをMとし、前奏・間奏・後奏をLとして小節数を数えると次のような図式になる。L4M9M7M7/L3M10/L2__M6M7/L5かくて主旋律から伴奏和音が予想できず、あらゆる虚飾の剥ぎ取られた純な音が抽出され、音楽が生成されていく。
美しいサティの音楽がサロンに埋もれることなく、全曲を漏れなく今この耳に聴けると言う奇跡を起こした人、それが高橋悠治とアキだ。
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