・「告別式」
昨年、高田渡逝去の報を聞いたとき、真っ先にこのアルバムの「告別式」が頭の中を巡りました。
「告別式」は彼自身の詞ではありませんが、この題名にあの軽快な音を乗せた彼ですから、この曲同様、死をもあまり気にせず、今も変わらずひょうひょうと、どこかで酒を飲んでそうな気がします。
この盤の解説にもありますが、彼自身による作詞が少ないアルバムですが、選詩や彼の典型的なコード進行は健在です。
他の高田渡のアルバム同様、高校時代の通学時に毎日毎日、何度聴いたかわからないアルバムです。
・「日本の「フォーク」の到達点」
2005年4月16日、高田渡氏、56歳で逝去。 50歳の僕は、兄か仲のいい従兄弟が逝ってしまったような気がした。結局、朝まで、バーボン飲みながら、お通夜と称してCDを聴き、明け方、プレーヤーを出してLPを聴いた。
「系図」は、今でなら、大騒ぎになりそうなレコード会社移転の後の作品。この後、吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水、小室等の「フォーライフレコード」設立が大騒ぎになったことを考えると、この作品は、もっと大騒ぎされてもよかったのでは・・・・と個人的に思う。
フォーライフレコードに言った連中は、今でも好きだし、支持してるけど、彼らが、その出発点と違って、やたらメジャーになったことが腹立たしく思ったりもした記憶がある。
この一連のマニアリストで記載したけれども、日本の「フォーク」は、フォークソングでもなければ、「フォークロック」の「フォーク」とも違う極めて特殊なジャンルであった。
高田渡は、昭和40年代から時代の変化とか、社会情勢の変化と無関係に愚直に、このジャンルを守った。彼に時代の変化を感じ取る感覚がなかったとは思われない。
彼の、ポリシー。アイデンティティーだろう。
こういう男が居たこと、こういう男とほとんど同時代を過ごせたことを感謝したい。
・「シュガーコーティングされたナイフのような…」
高田渡の唄はいつも優しい。基本的に人間が優しいからなのだと思っているが、結構過激で烈しい一面も持った人なのだということは著作などを読むとよくわかる。
このアルバムもその優しい語り口に惹かれて聴いていると、その奥に潜んだ熱いメッセージにたどり着くはずだ。何かを諦めているようなふりをして唄いながら、本当は何も諦めていないんだという「怒り」「悲しみ」とその後になる大いなる「肯定」にあふれた名盤である。バックを固める「武蔵野タンポポ団」の演奏も無駄が無くて実にイイ。
是非通して聴くことをお勧めする。「鉱夫の祈り」は不朽の名作だと思う。
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