時計じかけのオレンジ
スタンリー・キューブリック(監督), マルコム・マクドウェル(俳優), パトリック・マギー(俳優), マイケル・ベイツ(俳優), ウォーレン・クラーク(俳優), アンソニー・バージェス(原著)
● 好きな映画
・「すべての若き野郎ども」
日本公開時、小学生で懐かしきスバル座にて鑑賞した。初日、早朝より並んでいると職員の人だろうか、「おや、早いね。ほら食べな。」と言ってアンパンをくれた事を思い出す。あの方は元気だろうか。
このような映画が当時PG制限すらなかった時代に改めて驚く。
またどんな情報経路でこの映画を知ったのか、どうしてそうまで関心を持ったのか、殆ど記憶がない。
ヴィデオ化もDVD化も、かなり遅くになってからだったと記憶しているが改めて鑑賞すると、他のクブリック作品と比較しても、かなりのアラが目立つ。前半にあたる無軌道な未来の若者達の残虐な暴力シーンは、ほぼブツ切り状態で前後の脈絡なく殆どロッシーニの音楽に合わせたPVのようですらある。それが描かれる残虐性の反面、非常にポップでコミカルであるから、見ていてこの斬新さに何だかカタルシスすら憶えるのだ。ロッシーニのオペラに合わせて喧嘩する若者達がまるで、オペラの出演者のようなのだ。
このウルトラ・ヴァイオレンスのピークにあたる「不意の訪問」によるレイプ・シーンは最早、目を覆うばかりの残虐さであるが、さすがに肝心な部分は撮影もされていないし、当然、画面にも出てこない。原作でも同様。何故ならポップではないからだ。
そして不良少年たちのチーム・ユニフォームのポップさ、付けまつげ、血だらけの目玉のカフス、山高帽、そういったファッションのユニークさ、全てが新しく感じたのだ。また不良少年達のリーダー、アレキサンダー・デラージ君が暴虐の限りを、その性欲とともにクラッシック音楽に昇華させていく、という不気味な趣味がこの少年の異常さを更に際立たせる。そもそも、不潔な事が大嫌いなのだ、アレックス君は。
何しろ、少年達の不協和音が出始めるのが、コロバ・モロコ・バー(麻薬入りのミルクを販売するバー)で第九を歌い始めた女性をからかう仲間に対してたしなめるところから始まるのだから格好いい。不良なのにクラッシック音楽が趣味。
当時の日本の不良少年はほぼ100%、リーゼントにボンタン、ヨーラン、そしてツナギ。聞いてる音楽がキャロルやら、DTBWBやら、もう完全なステレオ・タイプ。全くもって格好良くなかった、のである。
映画は彼らドルーグ(原作もそうだがロシア語を隠語として使うのがクール)が大暴れする前半は本当に楽しいのだが、投獄されてルドヴィコ療法を受けるあたりから極端にスピード・ダウンして、同時にあれだけ魅力的だった前半が嘘のようになってしまう。ところが良く見ると映画構成としては、この全く魅力の無い後半の方が編集やその他の構成がキチンとしているのである。
映画とはかくも不思議な芸術である。技術や構成や、脚本、編集、撮影、そういった映画製作の根本が滅茶苦茶な方が魅力的なことがあるのだ。
主役、アレキサンダー・デラージを演じたマルコム・マクドウエル氏はキャリアのピークとなり、その後あまりに強烈なこのアレックス役の亡霊から結局、逃れることは出来なかった。
当時はまだゲイであることをカミング・アウトしていなかったウオルター・カーロス氏によるスコアがまた強烈で1年後、デヴィッド・ボウイ氏の「ジギー・スターダスト」ショーのオープニングに高らかに鳴る、というオマケもつき全世界的にボウイ氏もカーロス氏もブレイクしたのだった。無論、ボウイ氏のヘアーもオレンジ色に染め上げられていた。
更に1年後、全世界のサッカー界に、そのあまりの未来的なサッカーをひっさげて74年W杯を蹂躙したオランダ・チームがそのオレンジ色のユニフォームに合わせて「時計仕掛けのオレンジ」軍団とも呼ばれたのだった。
また1年後、日本のTVドラマ、萩原健一主演の「傷だらけの天使」のオサムちゃんが住むペント・ハウスの壁にドーンと巨大なこの映画のポスターが貼ってあって狂喜したものだ。分かってる人は分かってる。
映画が持つ、何だかよくは分からないが不思議にポップな感覚が異常に「新しく」そして「ハラショー」だった本物の奇跡。
以後クブリックは勿論、世界にこんなトンデモ作品を残すことは出来なくなり、しかし逆に映画作品として高尚ないくつかの作品を残すことになる。
「フル・メタル・ジャケット」。傑作。
・「「2001年」がツァラトゥストラなら、これは道徳の系譜か?」
はじめて観た時は、「うわぁ…もう観たくないな」だったが(特に冒頭の暴力シーンのオンパレードはクラシックがBGMになってるギャップで、より残酷に感じた)、その後何度も観ることになった。主人公のアレックスは画面の中で暴れまわっていたが、実際にはやられる側でいた側の時間の方が長かった気がする。この映画には、「善悪」や「自由と正義」「国家の犯罪者に対する強制的な善人化(無力化でもある)は果たして正しいことなのか?」みたいなことがテーマとしてあるようだが、個人的には「でもあんなの社会に放置しといたら、おっかなくてしょうがないよ」と思うほかない。しかし、最後のシーン「かんぺきになおったね」を観た時は、やったぜアレックス!!みたいに高揚した気分になったのも事実…難しい問題だ。爆笑させられるシーンが随所にあることもポイント高い(個人的にはファッション、バーのぶっ飛んだ内装、バーの用心棒2人組、猫おばさんとその屋敷、蛇が「お亡くなりに」、作家のホームヘルパー等がツボ)。独特の言葉づかいも面白い(ツボは「ムースカばばあ」)。
・「どぎつい風刺」
“暴力”を誇張し、さらに反転させる冷徹な手法。キューブリックにしか撮れない映画。
一見、国家を風刺しているように見えますが、むしろ芸術や文化に対する倒錯した愛情が感じられます。
・「当時は・・・」
当時はかなり衝撃的な映像だったと思うが今、この情報化社会に生きている我々にとっては正直物足りない映画なのかも・・・。
とりあえず、今こんな映画が公開されていたら間違いなく、公開中止だけどww
でも単純ストーリーで飽きずに見れるので暇つぶしにはいいかもww
・「再度、観る勇気が出ない映画だが名作」
正直言って二度と観たくない映画のダントツ1位。
それほどこの映画には「力」がある。暴力・セックス・麻薬…過激なシーンの連続。主人公の狂気。
強制プログラムに使われたベートーベンは、自身も暫く聴けなかった。
強烈なファンも多いが、駄目な人には絶対に駄目だろう。だが駄作、というわけでは決して無い。確かに名作だ。名作ゆえに鑑賞者に与える精神的影響力は半端ではない。
この作品を観て、熱烈に惹かれるか、ダメージを受けるかは個人の精神状態によるのだろう。こんなに力のある映画は他にはない。
・「ウルトラバイオレンスの魅力」
社会が進歩しても生き物としての人間はそんなに変わらない。経済が豊かになっても暴力への憧れは脳の奥底に脈々と流れている。そんな人間の中に潜むウルトラバイオレンスの本能というのがこの映画の主題である。これを未来の社会の中でドラマにするというだけでなく、音楽の中にも潜むウルトラバイオレンス志向の暴露(この映画ではベートーベンだが、ヒトラーが愛好したワーグナー、現代にもファンが多いマーラーなど)もある。また、人工的な流行語の試行(例えば、ガリバー=頭)もおもしろい。さらに、登場人物の立ち居振る舞いと言葉遣いがイギリス人の雰囲気をよく表している。例えば、特殊な治療に対して主人公の同意を得るシーンで、刑務所の所長はきわめて紳士的にやわらかく話すのだが、看守は、契約書を読むんじゃないサインしろ、と大声で命令する。それに対して所長は何も言わない。貴族的なジェントルマンと大日本帝国陸軍軍人みたいのが共存していて本人たちには全く違和感がないという世界です。この映画は多元的に鑑賞できます。
・「参考になっていただければ嬉しいです。」
この作品は暴力、レイプなどのシーンがあります。 そういうシーンが含まれている、他にどんな要素があっても「含まれている」だけでどんな映画も絶対見たくない、 と言う人にはお薦めできません。 僕も暴力、レイプなどはもちろん嫌いな人です。 が、この作品観るべきであると思います。 ストーリとかがいい、悪いは別に 「物の表現の仕方」がこの映画、キューブリックの映画でしか観れないと思います。 話題を変えます。 彼はこの映画で何を訴えたかったか。 もちろん彼しか知りません。 しかし暴力を、レイプを薦めている(のよさを訴えている)作品ではないのは明らかでしょう。それはイギリス政府のこの作品の批判に対する、キューブリックの言葉からも分かるでしょう。そのことを踏まえてこの作品を観るべきでしょう。 最後に、参考にキューブリックのいった言葉も載せておきます。 「芸術には暴力がつきものだ。聖書にもホメロスにもシェイクスピアにも暴力は登場する。そして多くの精神科医がそれらは模倣の手本としてではなく、カタルシス(日ごろ心にひめている抑圧された想いを解放する事)として役に立っていると考えているんだよ。芸術作品が社会に危害を加えたことは一度も無い。逆に社会に対する危害の多くは自分たちが危険とみなした芸術作品から社会を守ろうとしてきた者達によってなされた。映画やテレビが無垢な善人を犯罪者に変えかねないなんていうのはあまりにも安楽的な発想である。」
・「謎」
どう評価していいか、こんなに悩んだ映画ははじめてです。この過剰なまでの暴力シーンは何か訴えたい事があってのことなのか?色々考えましたが、最終的に訴えたい事なんて無かったんだろうなと思います。全ては監督の芸術?狂った世界を映像に残したかっただけなんではないかと。暴力を否定したいだけならば前半のシーンは消して、ただ主人公をイジメぬく作品にすれば良いし、暴力を肯定したいだけならば後半のシーンはいらないと思う。正義やら悪やらそんな答えの出てしまっている当然で温いテーマでは無いはずです。テーマがあるかどうかすらわかりませんが、私はこの異常な世界にとても惹かれ、序盤の主人公を格好良いと思い、最後までホラーショーを堪能した。それだけです。
・「暴力は人間の本能?」
この映画を始めて見たのは高校生の時、かなり思想かぶれしている友人に無理やり連れていかれた記憶があります。それまでは「燃えよドラゴン」などを見て単純に盛り上がっていたミーハーな学生でしたが、「シャイニング」との2本立てを見せられてかなりの衝撃を受けた覚えがあります。
再度,歳をとってからDVDを見直してみると、劇中登場する数々のバイオレンス(家庭内暴力、婦女暴行、浮浪者虐待など)は、まるで今の新聞の社会面をにぎわせている凶悪事件をそのまま見ているような錯覚におそわれます。けっして近未来を予想して作られた予言的な作品ではないと思いますが、監督S・キューブリック(あるいは原作者)が、<暴力>を性欲や食欲と同類の根源的な人間の欲求であることを見抜いていたことはまちがいないでしょう。
また、本作品にはマニア心をくすぐる様々な小道具が登場します。ミッドセンチュリーと呼ばれる20世紀中期のデザイナーズ家具と、今のギャル語のような感覚で劇中使われているナッドサット語(英語とロシア語のスラングの合体語)は、バイオレンスにPOPな印象がブレンドされ、若者の無軌道ぶりを強調するのに成功しています。
主人公アレックスが、押し入った家で歌ったおかげで後々過去の虐待行為が露見してしまう原因になる「雨にうたえば」。アレックスがまさに苦悩(窓ガラス)をつきぬけ元の暴力青年に戻るきっかけとなる「ベートーヴェン・交響曲第9番」。当の作曲者でさえこんな使われ方をするとは夢にも思わなかったであろう、劇中登場する名曲の数々も聞き逃してはいけません。
・「一言で言うなら、「狂ってる」映画です。」
この映画を気に入る人は、普通の精神を持つ人ではないと思う。良い意味でも、悪い意味でも。自分も気に入った人たちの中の一人で、普通ではないことを自覚しています。暴力やセックスにトラウマのある人は、見るべきではない映画かもしれません。ビビッドな色使いで、サブリミナルっぽいカットもあり、かなり印象強く、あとあとまで引きずることになるかもしれません。私も見てから2,3日は多少ひきずりました。。でも見てよかったと思うし、もう少しほとぼりが冷めたら、今度はこの映画が通じそうな人と一緒に見たいと思います。彼らが集うミルクバー、片目だけの付けマツゲ、白づくめの格好、手にはステッキ、股間ガード、などなど、狂ってるものをあげようとするとキリがない。彼らの話すナッドサッド語(?)も、慣れると使いたくなる感じです。合言葉みたいな感じで。
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